絵を描きたい初心者の方、関心のある方へ。絵が上手いとは何か?【17世紀】【ざっくり美術史1】

15世紀

 

 

まえがき

 ざっくり美術史第一回です。

 今回から、欧米日本合わせた美術史を、現代の絵描きとして、なかば主観的にも振り返りながら、少しずつ解説していこうと思います。おもに絵画の発展が中心で、飛び飛びになることも多いですが、絵を描きたい方、絵画に関心のある方のヒントになったり、お役に立てればと思っております。

 

 水彩を、油絵を始めたいけど不安、美術というものに興味はあるけれど自分がなにができるのか分からない、芸術ってそもそも何なのか・・そういった声を耳にして、考えたことを書いていくことにしました。

 

 調べれば数多くの情報は出てくるものの、なにが本当に重要なのか・・そこで、そもそも論に還ることも大切です。絵は自由に描けます。その自由が侵害されることはありません。ただ、「そもそも絵が上手いとは何か?」「何が優れていて、なにをもって優れていないのか?」それがわからないと納得して進めない方もいるはずです。

 

 ・・もちろん物事の見方は一様ではありません。また、絵画をはじめ芸術は競争ではなく、順番も付けられないと思います。しかしながら「優れたもの」というのは確かに存在し、優れたものを基準にすることで自分のやるべきことがわかるものです。

 

 芸術には「わからない」が付きものです。ですので、問いを立てることは解決の一歩です。なぜなのか?と思うことは探求心であり好奇心であり理解と同義だと思います。

見出しの写真はベラスケス作「アラクネの寓話(織女たち)」

 

ルーベンス作「戦争の惨禍」(1638)

 

絵の上手さと17世紀の画家

 絵の上手さについては、17世紀の宮廷画家ベラスケスとルーベンスを考えていきましょう。この、絵画芸術の隆盛を極めた17世紀バロックの画家の作品はたいへん優れています。

 ベラスケスやルーベンスは一般的な職人としての画家の地位よりも、高い地位を宮廷内で与えられていたようです。

 とくにルーベンスの作品を見ると、人体の表現技術の高さは勿論のこと宗教画に関しては、動きのある筆のタッチによって躍動的な人体表現や、ダイナミックな構図、生き生きとした表情、肌の質感を描き出すことに成功しています。重厚で静謐な肖像画も描く一方で、斬新な構図や躍動感のある構図の宗教画は、技術的にもたいへんな熟練を必要としますし、また決まりきった、既存のアイデアでは作れない発想があると思います。そういった点がルーベンスが「天才」と呼ばれている所以かもしれません。

二人の画家の作品のなにが優れているか

 ベラスケスと、ルーベンスの作品を拡大して、描き方の優れた点をみていきます。一般的に言う「細密さ」だけが「絵の上手さ」の基準ではありません。両者には一番下に示した、15世紀ルネサンス期のファン・エイクとは異なった「上手さ」があります。細密だけが熟練ではないということがポイントだと思います。

ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニ―ナス(女官たち)』1656
ベラスケス作『女官たち』拡大図 ベラスケスの何が優れているのか。例えば中心の王女と左の侍女のドレスは細密には描かれていない 大振りで速い筆づかいで的確な描写をしている
拡大図2 筆致に目が行くが、バルール(目に映る世界に準じた色の調子、トーン)も的確である
ピーテル・パウル・ルーベンス 「凍えるヴィーナス」 (1614)
拡大図 顔立ちの描写、肌の輝き、量感がルーベンスの技術の高さを示す
ヤン・ファン・エイク 「アルノルフィーニ夫婦」 (1434)
15世紀北方ルネサンスのファン・エイク 細かな筆遣いによる硬質な描写、陰影の階調の繊細さ 保存状態の良さも優れた技術の証拠

画家の工房(ギルド)に入ったら

 ・・少々突飛なことなのですが、あなたがベラスケスの工房、ルーベンスの工房に入った丁稚(弟子)になったことをイメージしてみてください。あなたはまだ未熟ですが、偉大な師匠の工房に入り絵を描いていきます。あなたは絵を描くしかありません。師匠の背中を追いかけてひたすら訓練あるのみです。時には真似し、技術を盗み・・・。王様というクライアントが居て、サプライヤーのあなたの入った工房では納期があります。納期に合わせて、手早く。悩んでいる暇はありません。・・・・現代の絵描きや美術家が頻繁に直面する問題「芸術とは何か?」「表現とはなにか?」「絵を描くってなんなんだ?」・・このようなクエスチョンは、ベラスケス、ルーベンスの工房では必要なさそうです。

 

時代は変わって

・・しかしながら時代は変わっていきます。17世紀の工房から、今度はあなたが18世紀半ばの産業革命の時代にいることを想像してください。この革命は、社会が王様の世界ではなく、市民の世界に変化していくことを意味しますし、芸術に関しては爆発的な開放をもたらしました。それは「注文を受けて作る作品」から「注文されなくても作る作品」へ徐々に変化していったということ。解説のための宗教画の役割は終わり、なにかを伝える「表現」するための絵画へ発展していきました。

 

モディリアーニ 作「ジャンヌ・エビュテルヌ」 (1919)

 

革命で市民の時代へ

 産業革命(市民革命)以降、おそらく19世紀から芸術はある種の「自由」を得たのではないでしょうか。王族に仕える工房でなくとも個人で芸術作品が産み出されることになりました。主題も、宗教画や肖像画から、風景画や、風俗画に。王侯貴族の芸術の伝統はサロン(画壇)へと継承されましたが、時として市民画家達は「依頼」がない作品をつくるため、カフェに集まり思想や哲学などの議論を交わしました。その「自由」とひきかえに、なにが画家たちに降りかかったかというと、「貧困」と「苦悩」です。中盤で言った「絵を描くってなんなんだ?」・・こういった疑問、苦悩はさらに時代を経るにつれて、個人的問題として増幅することになります。勿論伝統に寄り添う制作は可能です。ただしそれでは表現しきれないくらい文明が、科学が発展していっているのです。

 続きはまた次回。

 

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ベラスケス「アラクネの寓話(織女たち)」画像引用:画像素材-g-sozai.com