20世紀、レディ・メイドが突きつけた絵画の問題!デュシャン【ざっくり美術史5】

20世紀

 マルセル・デュシャン『泉』1917 アルフレッド・スティーグリッツによって撮影

 今回は、ざっくり美術史5。19世紀、世紀末の美術を経て、20世紀に入っていきます。

ニューヨーク・ダダの代表のデュシャン

 男性用小便器であまりにも名の知れたマルセル・デュシャンは、第一次世界大戦中にヨーロッパ各地とアメリカで同時多発的に起こったダダイズムの作家です。ダダイズムの作家は画家、詩人写真家と多岐にわたり、その表現は既存の秩序の破壊、痛烈な社会風刺や政治批判もふくまれています。ダダが生まれた経緯はほかならぬ、戦時下の恐怖や社会不安があり既存の文化や倫理への批判が高まったことにあります。「ダダ」という語は、詩人トリスタン・ツァラが命名したとされフランス語で木馬(幼児語)、ルーマニア語で「そうだ、そうだ」を意味し、辞典で偶然拾ったような言葉を、活動の名称にしました。こうすることで語句や音声のイメージの輝きを表そうとしたのです。[1]

 その中、ニューヨークでのダダでデュシャンはレディ・メイド作品によって地位を確立しました。レディ(Ready 準備)-メイド(made)とは、つまり既製品ということです。

 デュシャンは基部の取水口のすぐ横に、R. マットとサインをした。Rはフランス語の俗語で「財布」そして、金持ちの男という意味でもある“Ri-chard”に掛けていたのだが、作品展示委員は当初このサインの主を下品なろくでなし(mutt)だと考えたことだろう。しかし、これはデュシャンがまた、この便器の購入先であるニューヨークの「マット・ワークス社」(Mott Works)の社名を、彼なりに少し手を加えて遊んだのである。 引用:デュシャン 著ジャニス・ミンク タッシェン・ジャパン2001 p.67

 デュシャンはなぜ、既製品であり、ただの物体(オブジェ)を作品として提示したのか。それは今までの芸術という伝統、制度への問いかけがあります。現時点で芸術作品は単なる好悪の趣味になっていないか、伝統的な形式表現を持ちながら内容が空洞化した作品等への批判をしたわけです。とりわけ絵画に関しては、シリアスな写実主義のクールベ(1819-1877)以来まったく網膜的なものとなってしまっていると言っています。[2]絵画作品が単に目を喜ばせるだけのものになっているという痛烈な批判です。

 戦争の惨禍や、恐怖、社会問題へのメッセージを伝達する手段としての芸術において、アナクロ(時代錯誤)な絵画芸術を問題視したというのは、スキャンダラスでありながらたいへん重要であったと思います。

 

デュシャンの絵画

 デュシャンも初期に、『階段を下りる裸体No.2』(1912)という絵画作品を制作しています。当時隆盛していたキュビスムと機械文明に影響を受けた未来派に接近した作風です。キュビスムとしての評価はあまり芳しくなかったようですが、先進的で時代をとらえた優れた作品だと思います。

デュシャン以降の芸術

 第一次大戦後の芸術は、デュシャンをはじめダダやシュルレアリズムなど破壊をともなったり、思想や概念的なものも多くなりました。やがて絵画についてはピカソが登場し、アメリカ抽象表現主義では絵画平面を極限化しました。第二次世界大戦後は、絵画の様式自体がやり尽くした旧来のものとされて、戦後しばらくした60年代以降は芸術の主流は絵画から様々なジャンルへと移行するように思います。こう考えると戦争デュシャンが芸術に与えた影響は多大であり、この二つが芸術においてはいまだ外せないキーワードなのではないかと個人的には考えています。

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 [1]参考文献:20世紀の美術 美術出版社 2000 p.54「ダダ」

 [2]参考文献:美術手帖2011年11月号 美術出版社 p.24