ポストモダン芸術と絵画【20世紀中盤~後半】【ざっくり美術史15】

20世紀

ポスト-モダン以前のモダニズムとは

 芸術においてのモダニズムは、1860年~1960年のおよそ100年間の、アカデミックな芸術に対抗した多くの作品、表現を広義に指します。この芸術の動向に共通するのは「新しいものの希求」でした。新しさが求められたのは、古い表現ではもう表現しきれなくなったということと、伝統がアカデミック(権威的)になったうえでそれが陳腐化した時代背景によるものでした。

 モダニズムの中の各々のムーヴメント(芸術運動)は明確な理想を持ち、賛同した人々と集団的意識として共有しました。新たな理論や最上のものに向かって発展していくこと、つまりある方向へ向かっていることこそがモダンであるわけですが、「方向性を持っている」ことは同時に、完成と終焉も示唆しています。遅かれ早かれ「終わり」が予見されるモダニズムは、その後にある「終わらない(持続する)」「完成をもたない」ポスト-モダニズムとの明確な対比があるわけです。

 モダニズム絵画は、ギュスターヴ・クールベ印象派が伝統的なサロンに反発し、新たな視点を持った作品を生み出したことを端緒として、ピカソによるキュビズムの大胆な絵画革命があり、

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 ダダイズム、デュシャンのオブジェは戦火の後で、絵画と芸術への懐疑を隠しませんでした。

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 カンディンスキー、バウハウスの思想はキュビズムの後の抽象画のあり方を示し、アメリカ抽象表現主義は新しい平面において、その極致は絵画の終焉をも示唆しました。

ポスト-モダン芸術の始まりは

 1945年以降のアンフォルメルの、戦争を通したシンパシーに貫かれた混沌とした生(なま)の感覚は日本の具体にまで及ぶほど強力でしたが、そこに統一性はなく、抽象表現主義以降の60年代には、ネオダダをはじめ理論性や物質性、芸術の反省といった面を強調したミニマリズムコンセプチュアルアートが登場します。同じく60年代からの多国籍なフルクサスは音楽美術文学の垣根を超え、身体を使うパフォーマンスアートも多く出てきました。アメリカを中心とするポップアートは物質的豊かさと資本主義的な夢想の中で、留まることを知らない予測不能な面を持っていました。

 戦後の芸術は、歴史的反省と共に社会の変化を敏感に感じ取り、現実の問題に目を向けるようになりました。それによって芸術は人々を統率するような大きな方向性を徐々に失い、その代わりに社会批判や自由さ、ジェンダー等の多様性の意識が、60年代以降明確に台頭してきました。そういった、モダニズムを顧みた上での新たな意識がポストモダン芸術を形作ったと言えます。

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ドナルド・ジャッド ―ミニマル・アート

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草間彌生 ―ハプニング・アート

ポスト-モダンの絵画

 ポスト-モダニズムの時代、絵画や彫刻などの分類自体がもはや旧来のものとなり、パフォーマンス、コンセプチュアルアートなどの身体的オブジェクト的アートが盛り上がった中でも、アメリカのリチャード・ディーベンコーン(1922-1993)のようなポスト抽象表現主義的画家や、アイルランドのフランシス・ベーコン(1909-1992)、

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リチャード・ディーベンコーン

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フランシス・ベーコン

イギリスのデイビット・ホックニー(1937-)やルシアン・フロイド(1922-2011)らは、表現技法やテーマについてを個人的な選択や、地域的な選択に依拠しながら魅力的な絵画を生み出しており、そこには、アイデンティティやある種のタブーを明らかにするような主題が描かれています。

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デイビット・ホックニー

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ルシアン・フロイド

絵画の終焉と、ドイツ的絵画

 旧東ドイツで生まれたゲルハルト・リヒター(1932-)は60年代に西ドイツに移住し、デュッセルドルフ芸術大学で教授であるヨーゼフ・ボイスらに出会い、アメリカ抽象表現の完成とポップアートの隆盛、時代的な絵画への関心の欠如の中で、絵画制作を継続しました。

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 当時の反絵画的風潮について彼はインタビューで、

 六〇年代のおわり、アートシーンの大きな政治化が始まりました。そこでは絵画は、なんの「社会的意義」ももたない、つまりブルジョアのすることだったので、タブーとされていました。[1]

と述べています。リヒターは当初からドイツのポップアーティストとして制作しており、共に歩んだ画家としては資本主義リアリズムを掲げたジグマ―・ポルケ(1941-2010)がおり、両者はウォーホルやリキテンスタインのアートに影響を受けながらドイツ的視点を持ったポップ・アートを目指しました。

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ジグマ―・ポルケ

 リヒターの代表的作風である、写真を写し取った「フォトペインティング」は、旧来の絵画技法を用いながらも、ポップアート的であり伝統的な絵画の文脈とは一線を置いています。

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 フォトペインティングに描かれたモチーフは、報道写真から、センチメンタルにもとられる風景など多様で、また一方で、後年まったく異なったアブストラクトペインティングやシルクスクリーンを制作しています。こういった多様な作風はしばしば批評家を困惑させましたが、ポップアート的な多彩さでもって社会的な意義を探りながら絵画の意味を問いかけると同時に、今なお描く喜びをも示唆しています。

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ゲルハルト・リヒター

 ポスト-モダニズムが謳われてしばらくした70,80年代は、ヨーゼフ・ボイスに師事したアンゼルム・キーファー(1945-)が、ドイツの歴史をしばしば露悪的にカリカチュアライズさせたり一方で神話的な場面等を描き、高い評価を得ます。コラージュやアルテポーヴェラ的な生の素材(鉛や藁)を多用した寓意画は混沌としていながらも、詩的で迫真を帯びる作風を特徴としています。

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アンゼルム・キーファー

 上記三点は2013年、ガゴシアン・ギャラリー パリAnselm Kiefer Exhibition『Morgenthau Plan』にて撮影

 展示名『モーゲンソープラン』は、第二次世界大戦中に立案されたドイツ占領計画の名。

ポスト-モダン芸術は結局のところなにを示したか

 ポストモダンにおいては理想は各々の人々に委ねられました。モダニズム的なある方向性を持った理想は、拡散した理想へと変化し「新しさの希求」から「多様性の受容」へ「公的なもの」から「私的なもの」へ意識関心が向いたと言ってよいのではないでしょうか。

 同時に60年代~80年代は国際関係や人種や歴史について考慮すべき時代であった故にそれらに衝き動かされ、ポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)歴史的な内省社会への問いかけ、個人の幸福が作品の軸になりえたのだと思います。

 またとりわけ60年代から絵画の社会的意義は失われつつあり、趣味的(ブルジョア的)表現と解釈されることも多くなりました。しかしながら絵画は存続し、アンゼルム・キーファー、イタリアの3Cやゲオルグ・バゼリッツ(1938-)を代表とした新表現主義と呼ばれる絵画の動向が生まれたことも事実です。

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エンツォ・クッキ(1949-)(イタリア3Cの一人)

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ゲオルグ・バゼリッツ

ポスト-モダンのその後

 80年代以降も、社会的言及のあるポストモダン・アートは強い意義を持っていますが、90年代に入るとよりセンセーショナルなダミアン・ハースト(1965-)や、

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ダミアン・ハースト

メディアアートの中ではマシュー・バーニー(1967-)などが注目されました。マシュー・バーニーの彫刻制作にはシリコンなどが用いられ、映像作品の『クレマスター』シリーズでは、シリコンの他、蜂が登場しかつてのヨーゼフ・ボイスのオマージュを思わせる表現が見られます。

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マシュー・バーニー

 また90年代後半は、平面の芸術においてもドクメンタ9に参加したベルギーのリュック・タイマンス(1958-)の映像的な構成とホロコーストなどの歴史的主題を扱った絵画や、97年のセンセーション展、98年のターナー賞で賛否を呼んだ、ナイジェリア系のクリス・オフィリ(1968-)の宗教や人種のナイーブな主題を扱った絵画が注目されました。

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リュック・タイマンス

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クリス・オフィリ

 時代はほどなくして21世紀に入ります。テクノロジーによって情報が飛び交い、グローバルな多様性の中、脱中心主義はさらに叫ばれることになったと思います。芸術には依然としてあらゆる可能性がありますが、絵画においては描く理由をこれからも見つけられるでしょうか。芸術においては、人々の暮らしの中でその価値をどのように保持し続けられるか、それを共に私たちが考えていかなければなりません。

 

[1]ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論 淡交社 2005 p.110

1991年 ヨナス・シュトルスフェによるインタヴュー から引用