セザンヌの写実とは?【19世紀】【ざっくり美術史7】

19世紀

 上 ポール・セザンヌ『リンゴとプリムローズの鉢のある静物』1890

 今回はポール・セザンヌについて書いていきます。セザンヌは19世紀、後期印象主義の画家に位置付けられます。この記事でモネについて書きましたが、そこに載っている積み藁の絵と同時期に、彼は上の静物画を描いています。

 私は当初、「印象派」にくくられたセザンヌに疑問を持ちました。同時期に制作していたのは間違いないですが、モネの、光の画家と言われるような作品のイメージと比べて、セザンヌの作品は少し暗く見えます。私には、どこの点が「光」をとらえているのか分からず(同じ後期印象派のジョルジュ・スーラであれば光と色彩を理論的にみているのが分かりますが。)印象派の中のセザンヌの仕事がうまく捉えられませんでした。

 事実、セザンヌは印象派グループの活動とはやがて離れていくようで、印象派とセザンヌは違うという理解でよいのかもしれません。印象派という言葉自体も、実は本来皮肉的な言われ方であり、本当の意味では「光の写実」と表現していい作品群です。印象派の目的を考えると、セザンヌは印象派とは異なる独自の作品をつくっています。日本でも「モネ」は分かるけど「セザンヌ」はよくわからないという声を耳にしたことがあります。今回はセザンヌの作品を載せながら、簡潔に説明していきたいと思います。

ジャン・シメオン・シャルダン『フラスコとフルーツのある静物』1728

 上にシャルダンの静物画と、セザンヌの静物画を載せていますが、セザンヌの方はしばしば歪んでいるとか、透視図法を使えていないとか、果物がテーブルからこぼれ落ちそうだとか言われることがあります。これは確かにそう見えるのですが、ひとつセザンヌの言葉で注視してほしいものがあります。

 美術批評家であるジョワシャン・ガスケとの対話の中で、「新雪のように白いテーブルクロス」、「小さな黄金色のパン」、「それを冠のように乗せた食器」が均合いよくせりあがっていた、若い時はそういうふうに描きたかったが、いまでは “小さな黄金色のパン” を描こうとしてはいけないことが分かる、 “冠のように” を描いてはいけないのだ、私が本当に食器やパンを実物どおりに均合いを取り、ニュアンスを描き分ければ、冠や雪、あらゆる揺らめきがそこに表われる、という文章が残されています。[1] [1]文献参照:セザンヌ 絶対の探求者 二玄社 1997 山梨俊夫 編 訳 

 これは、どういう意味なのか?

 セザンヌは「実物を見る」ということに最上の価値を置いていたようです。大切なのは、物を「そう見えるように描く」とは違うということです。実は、後者の方が鑑賞者からはしばしば自然に見えます。ものがそれらしく、舞台に置かれている。そういったほうが人は違和感なく絵が「自然に見える」のです。思い返せばルネサンス期の透視図法もそうでした。一点透視も空気遠近法も、デタラメではなく人の眼にはそう見えます。室内や建築ではとくにそう見えます。しかし地球は丸いと考えると、完全なる真実ではない。

 透視図法のように、もしくは卓上の、パンを冠のように乗せた食器を、平面に、理論的にそれらしく描くというのはルネサンス以降非常に技術が進み、出来るようになりました。絵は窓の代わりだという事もよく言われますが四角(矩形)の中の、奥行のイリュージョンなのです。

 セザンヌはそれに異を唱え、見るままに自然のあるがままに描こうとしました。このことはとても難しいことで、そう見えるようにではなく、見たままに。一般的な見方ではなかなか理解しづらいですが、つまり視線は動くという事、頭を動かせば、一点透視の消失点はずれていくということ。視点を固定しないで描くということ。また人々が思い描く「パン」を描くのではなく、今眼の前にある「パン」を描く事。遠近法も取り入れるが、感覚的な捉えも重視するという事。こういったことに本気で取り組んだ画家であると思います。

 

 風景画に関しては、人が木に見える「木」ではなく、いまそこにある「木」を描き、またその周りの空気の揺らめきや光の乱反射など画家自身の置かれている空間世界を捉えようとしているのかもしれません。これは人間が見える見方ではない「客観」を描くようなことなのでしょう。

ポール・セザンヌ『赤いドレスを着たセザンヌ夫人』1888-90

 セザンヌの絵は、人間が立っている非人間的な自然の土台をあらわにする。セザンヌが描く人物が見慣れない印象を与え、人間とは異なる種の生き物が見た人物のように見えるのはそのためである。[2]

 フランスの哲学者で現象学哲学を書いたメルロ=ポンティは、セザンヌの絵に関心を持ち文章を書いています。上記太字はその抜粋です。見えたものの輪郭を一つに決めずに多くの輪郭をつけて描いたり、人間でありながら非人間的な現実世界を描くことに挑んだセザンヌは、矛盾をはらみながらも現象学という哲学に接近した画家と言えるようです。

 セザンヌの作品は、人間の生きる世界そのものを考える哲学にまで波及し、その技法は印象派からのちのキュビスムのピカソにも影響を与えました。

 そんなわけで、続きはまた次回。

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[2]メルロ=ポンティ・コレクション 中山元編訳 セザンヌの疑い p.255 ちくま学芸文庫 1999