上 ジャン・デュビュッフェ『Soul of the Underground』1958
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抽象表現主義と並行した多国籍なアンフォルメル
1945年、パリのドルーアン・ギャラリーで「人質」展を開いたジャン・フォートリエ(1898-1964)、翌年同画廊での「ミロボリュス・マカダム商会、厚塗り」展を開いたジャン・デュビュッフェ(1901-1985)に啓発される形で、フランスの美術批評家ミシェル・タピエ(1909-1987)は、アンフォルメル(不定形、非定形)という語に新しい絵画傾向を集約しました。[1]
アンフォルメルは、ダダの破壊性やシュルレアリズムの内面性を含み、描くという行為、芸術家それ自身にも着目させた芸術であるようです。並行したアメリカ抽象表現主義(記事)もアンフォルメルの一部と定義されることも多く、その意味で戦後初期の芸術を包括した概念だと言えます。
フォートリエとデュビュッフェ作品に見られる荒々しい塗りと筆遣いの抽象はカンディンスキー(記事)のような幾何学的抽象と対照をなします。フォートリエの作品は戦争の傷を仄めかすようであり、デュビュッフェは壁のシミとの揶揄を転じたタシスムとアール・ブリュット(精神に障碍のある方の芸術=生の芸術)に多大な影響を受けた作品を制作しました。
フランスのアンフォルメルには他にもヴォルス(1913-1951)、ピエール・スーラ―ジュ(1919-)などの画家がいますが、この不-定形の芸術はフランス国内のみならず多国籍的に紹介され、産み出されました。多国籍である点は批評家タピエが蒐集家であった点、そしてアンフォルメルを様々な芸術家に適用することで自身の理論を世界的に広めることを意図していたからと言われています。
ジャン・フォートリエ
ジャン・デュビュッフェ
ピエール・スーラ―ジュ
スペイン出身のアントニ・タピエス(1923-2012)は、工業用の素材や自然素材を用いるミクストメディア作品で名声を得ました。中国のザオ・ウーキー(1920-2013)は東洋的な抽象画を制作し、2018年にはアジア人アーティストの油彩作品で過去最高額を記録しています。
アントニ・タピエス
ザオ・ウーキー
50年代、タピエは日本の芸術家も取り上げ、パリで活動していた今井俊満(1928-2002)、54年に結成された「具体美術協会」(設立者の吉原治良、会員の白髪一雄、田中敦子など)を高く評価しました。とくに具体美術協会は「具体(GUTAI)」とも称され世界的な知名度があり、具体という語は抽象表現主義の前進の意味もあるようです。
特に藤田嗣治からの鞭撻を受け「人のまねをしない、人のやらないことをする」という精神を掲げた吉原治良(1905-1972)は、「円」の作品が有名ですが、禅の円相とは必ずしも同じではなく、地と図の関係を極限に追求した結果たどりついたと言われています。白髪一雄(1924-2008)は、その描画行為(足で描く行為)に重きを置き、生涯継続して制作しました。
白髪一雄
具体美術協会とアンフォルメル
日本国内においても、アンフォルメルの描画や制作行為の革新性は驚きをもって伝えられ、多くの賛同を得ましたが、同時に「具体」の吉原が掲げた「人と同じことをしない」という方針や、日本人独自の解釈、創作行為の精神的な原点が、タピエの芸術の考えや目指す方向と少しずつ溝を産むことになります。
描画行為や芸術的行為に日本人の古来から根差した精神を重ね合わせ、同時に物質そのものの存在感と神秘性、畏怖を見出すような「具体」の方針は、アンフォルメルの中でも異質であり、伝統的な矩形(四角)の中での芸術という意識とは別と言えます。
具体美術は物質を変貌しない。具体美術は物質を偽らない。具体美術に於ては人間精神と物質が対立したまま、握手している。物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない。[具体美術宣言から引用]
上記の具体美術宣言は、日本の風土と人間の関係のようでもあり、人間と物質を明確に分離する態度があります。そこには、「具体」が事実としてタピエの思想やアメリカ抽象表現主義のような絵画形式に接近しながらも、やがてどこにも追従しない道(=行為と物質の関係性への関心)を歩むことが示されているように思います。
同時にその「行為」の芸術が孕む問題に関して、白髪一雄作品においてはその描画行為に価値が置かれたとして、結果として残った「痕跡」に価値はあるのか。つまり行為や手段を目的化することは、そこに精神性を見出すことは出来ても、その結果である痕跡が精神性を持ち得るかどうか、同時に結果としての作品が「絵画」としての形式を持ちあわせているのかどうかという問題に直面することになります。「具体」がアンフォルメルの影響と、アクションやパフォーマンスにおいて自国の芸術を進歩させたことは特筆すべきことで、後に物質としての芸術は「もの派」へ、パフォーマンスはハイレッド・センターなどへ繋がることになります。
しかしながら絵画の問題としては、例えばローゼンバーグがアクション・ペインティングと称し、「具体」も高く評価したジャクソン・ポロックのドリッピング絵画は、単なる行為の痕跡ではなく、グリーンバーグの言うようにイリュージョン性(知覚に基づいた想像)の有る絵画だというのも同時に見逃せない点なのです。
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[1]参考文献 20世紀の美術 美術出版社他参考文献 『彦坂尚嘉のエクリチュール』彦坂尚嘉著 2008 三和書籍
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