この絵、写真みたい!17世紀、絵とカメラと写真の関係。【ざっくり美術史2】

15世紀

 ヨハネス・フェルメール 「地理学者」 (1669)

 今回はざっくり美術史その2。

 17世紀、絵画芸術は隆盛を極め、多くの著名な画家が誕生します。特にリアルな空間の中の人物画、パースの効いた正確な構図を描く画家が出てきました。パースについては15世紀ルネサンス期の画家も取り入れていますが、まだ「やってみた」という段階で、自然とは言いにくい。陰影が自然な見え方ではないという感じです。そこで注目したいのが、カメラです。今日はこれについて簡単に説明していきます。

写真みたいな絵

 「この絵、上手い。写真みたい!」写実絵画やハイパー・リアリズムに対する一般的な賛辞ですが、絵と写真ってそういえばどんな関係なんでしょう?

 前の記事で17世紀から18、19世紀にかけて芸術は大きな変遷をたどることを説明しましたが、絵とカメラと写真の関係も、絵画を考えるには大変重要だと思います。

 「カメラ・オブスキュラ」というものがカメラの原型で、ピンホール・カメラと同じで小さい穴をあけ、その穴を通った光線によって像が結ばれる原理です。上に載せた17世紀のフェルメールと、

 

レンブラント・ファン・レイン 「自画像」 (1658)

 同じく17世紀のレンブラントは、カメラ・オブスキュラを絵画制作に活用しました。フェルメールの精緻さやレンブラントの明暗のコントラストはカメラに似ているところがあります。

 具体的に見ていくと、影(闇)の描き方が人間の眼に映るよりも暗い。露光量を下げた時のようにすっぱりと処理したように感じます。陰影を肉眼でとらえる時、人間の眼は能力が高いので反射光もよく捕えますし暗いところも少し明るくとらえます。しかし当時のカメラの「眼」は細部の反射よりも、影の存在、光の存在を浮き立たせるようなものだったのだと思います。それがフェルメールやレンブラントの画風に繋がっているのではないでしょうか。

絵画の死?

 カメラはやがて写真に像を落とし、19世紀の古典主義の画家ポール・ドラローシュは写真技術に触れ絵画の死を叫んだそうですが。——しかしながら大丈夫・・!絵画は死んでいません。ただ、ドラローシュの目指していた「写実」というものが、写真によって目的を果たされたとすれば、絵画の死を感じてもおかしくはありません。

 

 

絵画とカメラの蜜月関係

 カメラが、絵画の制作の大きな助けになったことは言うまでもありません。また、光について新たな発見があったはずです。カメラの発明から、19世紀になって感光させた「写真」となった時、写真は絵画の領域に足を踏み込んだと言えます。

 ちなみに事実として15世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチの手記にもカメラ・オブスキュラの原理が示されているそうです。もともとはイスラム圏の光学者の発見がはじまりで、科学者でもあるレオナルドが書き留め、建築的な透視図法もあいまってルネサンス期の絵画は、大きく変化したのです。

 そんなわけで17世紀の画家だけでなく、今から600年前の時点から、実は絵とカメラ、そしてそれがうつしだす像(写真)の関係は続いているのです。

 

 絵を描くこと、と今回はカメラ、写真の関係をお伝えいたしました。また次の記事で。

 

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カメラオブスキュラ関連画像引用:Alexander LesnitskyによるPixabayからの画像