上 カジミール・マレーヴィチ(1879-1935)作 黒い正方形 1913-23
抽象画とは何であるのか。前回の続き。
目次
マレーヴィチとモンドリアンの作品
見出しはロシア帝国領ウクライナ出身のマレーヴィチの作品です。この『黒い正方形』は当人も最もラディカル(極端)な作品だと言っていたようです。マレーヴィチの制作はパリで全盛だったキュビスムやフォービズムの影響を経て、抽象画に移行するのですが、彼が提唱したと言われる「シュプレマティズム」(絶対主義)の絵画は抽象画の極致でもある無対象を特徴としています。前回の記事でのカンディンスキーは、音楽、リズム等一部に対象がある絵画ですが、マレーヴィチの作品には具体的な対象がないのです。つまり、何が描かれているか、これは○○だと言い切れない次元の絵画なのです。
『黒い十字』の形体は無論十字架を想起させますが、岐路のようでもあり、感覚的にはいかようにもとることができます。この次元にまで絵画がくると、伝統的な絵画技術としての「絵が上手い」かどうかという価値判断では測れないものになりました。「上手さ」というのが実物の再現性ではなく、感覚や理論に比重が置かれていきます。
目に見えたとおり描く、美しく見えるように描く、本当に目で見ているものを描く・・19世紀まで「目で見る」ことにいかにあらゆる先人が尽力してきたか、火を見るより明らかですが、19世紀から20世紀に入ると、「目に見えない」対象を描き、色彩や形体を分析し抽出する動きが出てくるわけです。
オランダ出身のピート・モンドリアン(1872-1944)の作品は、垂直水平のグリッドを用いて制作されましたが、こちらは純粋な形態と色彩のみならず都市計画を想起させるような抽象です。
モダニズムの時代に追求された完全抽象画には、力強さがあり、具象絵画の持たないある種の叙情性があります。ちなみに上記の二人の作品には白地(余白)がありますが、書や水墨画のような余韻的な余白というよりは、存在する色彩とバランスをとるための緊張関係のある余白にみえます。
ロシア構成主義の台頭
同時にまた、ロシア構成主義という芸術運動が興り、絵画だけでなく、抽象性や象徴性という上記の画家の作風に似た方向性を持ちながら、日常生活に根差すテーマや社会に生きる人々を動かすことを目的とした、ポスターデザイン、グラフィックデザインが発明されました。この意匠は直線的で力強く、都市的で、当時のソ連の社会的プロパガンダとの相性も良かったのだと思います。またドイツのバウハウスの影響も大いに考えられます。
前衛画家への激しい弾圧
この時代、絵画が抽象表現にまで大きく発展する中で、二つの大きな弾圧が芸術家に降りかかります。
①スターリン体制下の抑圧と粛清
上記で示したマレーヴィチやロトシェンコは、ロシア前衛芸術(アヴァンギャルド)を支えた芸術家です。ロシアアヴァンギャルドは1920年代のソビエト連邦発足において市民生活ともプロパガンダとも相性は悪くありませんでしたが、その後のスターリン体制下では、前衛芸術に社会的無理解が生じ、分かりやすく農民に示すような社会主義リアリズムの芸術が推進されると、それにはむかう芸術家たちは粛清されるような悲劇に遭いました。
②ナチスによる退廃芸術の烙印
1930年代にナチス・ドイツは、20世紀の芸術運動(モダニズム)全体を問題視し、抽象芸術だけでなく、モダンアート作品の国外売却やベルリンでの焼却処分を行いました。モダンアートには「退廃」の烙印を押し(この「退廃」は日本語の直感的な意味よりも、「卑近である」や「高尚でない」「宗教的に崇高でない」という意味に思えます。モダンアートで宗教性の高い作品は数多くありますが)政治戦略から、新しい思想や反発を抑えるための弾圧をし、同時に19世紀までの絵画芸術を賛美しました。伝統的芸術が民族的歴史を恣意的に肯定するために利用されたのです。より簡素で乱雑に見えるモダンアートのビジュアルを、ナチスやヒトラーが攻撃、喧伝する理屈自体は、庶民の立場としては理解ができると思います。しかしながら裏で実は、ヒトラーやナチスがモダンアートの人気とその価値を知っており、実は利益に変えていたという事実があるようです。
そんなわけで、抽象芸術はヨーロッパ、ロシア共産圏で発達していきましたが、その革新性は政治、社会に翻弄される等一筋縄ではいかず、第一次大戦後は前衛芸術家の追放などの悲劇にもさらされました。しかしながら抽象芸術は、グラフィックデザイン、都市建築にも関りを持ち、現代においては欠かすことのできない芸術なのです。
続きは次回の記事で。
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