19世紀末、20世紀初頭美術と美大生の絵。【ざっくり美術史4】

19世紀

 グスタフ・クリムト作『メーダ・プリマヴェージ』1912

 タイトルにある通り今回は、ざっくり美術史4。19世紀末~20世紀はじめの美術と「美大生の絵」のかかわりを考えました。強引なつなげ方でしょうか?でも、見出しの写真を見てください。グスタフ・クリムトは、幻想や神話を取り入れた象徴主義の画家ですが、この『メーダ・プリマヴェージ』は親しみやすいイメージと華やかな色彩を持っており、日本の画学生でも表現を取り入れやすいと思える部分があります。

 下のノルウェーの表現主義の画家ムンクも、心理描写的な人物の描き方が、人々を惹きつけます。

 産業革命を端緒とし、産業、文明の発展とともに絵画の主題は変化しました。宗教画から、風景、市民の風俗画へ。18世紀、科学への興味が印象派を生み出したのかもしれません。19世紀にさらに思想や哲学、幻想のイメージも取り入れます。絵画の主題は広がりをみせ、多様となります。現代に通ずるイメージは、クリムトやムンクの時代から多く見られるのです。

エドヴァルド・ムンク『別離』1896

フォービズム(野獣派)と日本

 上記の画家の他、同じく20世紀はじめに隆盛したのは、鮮やかな色彩、主観的に描かれるフォルムに特徴づけられるフォービズム(野獣派)です。代表的な画家はジョルジュ・ルオーやモーリス・ド・ヴラマンク、アンリ・マティスらがあげられます。フォーヴの画家は、きわめて厚塗りで、純色に近い色を感覚的におくことが特徴です。とくにアンリ・マティスは、フォービズムから後々距離を置きますが、『帽子をかぶった女』(1905)にみられるような独自の色の表現は日本の絵画美術にも大きな影響を与えただろうと思います。梅原龍三郎(1888-1986)や萬鉄五郎(1885-1927)の作品にも明らかにフォービズム的な色彩の特徴があらわれています。佐伯祐三(1898-1928)が自らの学んできた絵をヴラマンクに「アカデミック」と喝破されたのも有名な話ですね。著名な画家が多く在籍した東京美術学校(現・東京藝術大学)の立ち上げが1887年であることも考えると、日本の美術の前衛も野獣的フォービズムであったのだという事が言えます。

 

一方で、日本に浸透しなかった芸術運動

 一方、ピカソを代表とした立体をとらえなおす『キュビスム』や夢や精神分析を基にした『シュルレアリスム』は同時代やその後におこっている運動ですが、日本の美術には浸透しなかったようです。その証拠に、今日(こんにち)の美大生の絵画作品を見てもフォービズム的な作品を見かけることはあっても、キュビスムやシュルレアリスム的な作品はほとんど見られません。これは憶測ですが、浸透しなかった二つの運動は、思想や理論に基づいた芸術であり、流入しにくいものだったのかもしれません。

 

そして現代へ

 20世紀の芸術は、第一次世界大戦後大きく変化します。戦後、デュシャンによって絵画や彫刻ではないオブジェの芸術が創り出されることになります。

 このことに関しては、また次回に。

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