抽象画とはなにか?その3 グリーンバーグの絵画論とモダニズム【20世紀】【ざっくり美術史10】

19世紀

 抽象画とは何か。今回からは、1940年代にアメリカで興ったアメリカ抽象表現主義と、その運動の中でジャクソン・ポロック等の絵画を擁護し、大きな影響を持った美術評論家のクレメント・グリーンバーグの批評選集をもとに書いていきます。

 なぜ、アメリカなのかというと、1940年初めごろにヨーロッパから前衛の抽象絵画やシュルレアリスムの画家、バウハウスの関係者が多くアメリカに亡命してきたこと、これは前述のナチスの前衛芸術の追放とフランス占領が関係していますが、それによってアメリカの芸術家は追従していたヨーロッパ美術の前衛を学ぶ機会を多く得られたということがあります。

アヴァンギャルドとキッチュ

 まずグリーンバーグは批評の論文の一つで、文化のアヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(後衛)という概念を出し比較しています。この二つには明確に違いがあると述べており、この批評によってグリーンバーグは名が知られるようになりました。

 文中、特に絵画のアヴァンギャルドとキッチュについて、ある言文をもとにロシアの小農民が、「レーピン」と「ピカソ」が並んでいるのを観た時にどちらが「よい」と思うかという例えを挙げています。

イリヤ・レーピン作『ヴォルガの船曳き』1870-1873

Embed from Getty Images

 “ロシアの小農民は、ピカソの絵画に力強い線や色彩を見て、それがなにかしらのイコン(象徴)であることがわかる。しかし、レーピンの作品を見ると、レーピンの絵画に描かれた情景が鮮明に識別できて、奇跡的で、共感できるものであることに気が付き、その価値を発見する。その小農民がレーピンの絵の中でものを識別する見方は、彼が絵の外部でものを識別してみるのと同じである”[引用p.15]

 つまり、レーピンの優れた技術、メディウム(絵具)の存在を感じさせない技術の成熟によって、目に映る情景に即した感動を小農民に与えたわけです。

 この見ただけで、労せずに楽しめるレーピンの作品は、現実の模倣(ミメーシス)であるルネサンスからの伝統的絵画技術を下敷きにしている点で、現実の「模倣」の「模倣」である=すなわち(本物の)模倣の模倣がキッチュであるということです。

 キッチュはその手段からしても「自明なこと」が多くとっつきやすいと言う事ができます。伝統=アカデミズムとはキッチュである、キッチュの芸術とは本物の代用の芸術であるともグリーンバーグは述べています。

 レーピンは観衆に芸術を消化しやすいように加工した「結果」を描き、芸術の愉しみへの近道を提供するのと異なり、ピカソは芸術の「原因」を描き、観者は芸術の「反省」の中からピカソの価値を発見します。これがアヴァンギャルドとキッチュ、前衛と後衛の違いを示しています。

 ピカソがアヴァンギャルドでありレーピンはキッチュであるというのは少し過激な説明に思えますが、とても分かりやすい対比です。

 

モダニズム絵画について

 抽象画という絵画と切り離せない関係として、同時期のモダニズム絵画があります。モダニズム絵画に代表されるのはマティスの作品ですが、鮮やかな色彩の代わりに深い陰影はありません。

エドゥアール・マネ作 「兵士に侮辱されるキリスト」 1865 シカゴ美術館蔵

 この表現のはじまりは、モダニズム絵画の祖ともいわれるエドゥアール・マネです。上記のマネ作品は古典的主題であるものの、背景は平板に黒く塗りつぶされ、足を踏み入れられるような空間表現がありません。マネは絵画の慣例を打破し、古典的伝統を一部継承しながら、省略性や絵具の存在感、平板な画面構成に関心があったのではないかと思います。

 グリーンバーグ曰く、モダニズムが原則として放棄してきたのは、それと分かる三次元の対象がその中に存在し得る類の空間の再現なのである。[p.66]

 モダニズム的考えとして「三次元性」は彫刻の本分であり、絵画が自律性を得るためには、何よりも彫刻と分かち持っているかもしれないものはすべて取り除かなければならなかった。そして、絵画が自らを抽象的なものにしていったのは、これを行うための努力の過程において[p.66]であると述べています。

 さらにグリーンバーグは、18世紀にも言及し、新古典主義のダヴィッドが装飾的な平板化から絵画芸術を救い出すために彫刻的な(陰影、空間の豊かな)絵画を復活させようと努めたにも拘わらず、ダヴィッド自身の最良の絵画の強さはしばしば、他の何よりもその色彩にある。[p.67]

ダヴィッド作『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』1801

ジャック・ルイ・ダヴィッド作『マラーの死』1793 (パリで撮影)

 そしてさらに彼の弟子であるアングルは、より一層一貫して色彩を軽視し続けたものの、14世紀以来最も平面的で最も非彫刻的なものに属する絵画を制作した[p.67]と述べていますが、

アングル作『ド・ブロイ公爵夫人の肖像』1851-53

つまりここで言いたいのは、足を踏み入れられるような、手で掴めるようなリアルな空間表現や深い陰影(彫刻的表現)を脱け出した絵画は、色彩をより前面に打ち出すことができたということ。空間の放棄がマティスのような鮮烈な色彩を抽象的に描き出したということ、やがて絵画はメディウム(絵具)と平面性に自覚的な芸術へと変化したということなのです。

 クレメント・グリーンバーグが新しい絵画平面として支持したのは、深い奥行きの空間を持つ伝統的絵画ではなく、その空間をキャンバスの表面ぎりぎりまで浅くした絵画でした。そこには奥行のイリュージョンはもはやありませんが、それとは別のまったく新たな浅い空間のイリュージョンが発現するのです。

ドミニク・アングル作『マルコット・ド・サント=マリ夫人の肖像』1826 (パリで撮影)

 続きはまた次回

 前の記事はこちら

 次の記事はこちら

 【参考文献・引用】 グリーンバーグ批評選集 クレメント・グリーンバーグ著 藤枝晃雄訳 2005 勁草書房